出典:荘子
「万物斉同」とは
「万物斉同(ばんぶつせいどう)」は、中国古典『荘子』に登場する思想で、「すべてのものは本質的に等しく、対立や区別は人間の主観に過ぎない」という荘子の根本理念のひとつです。この言葉は、万物を一なるものとして見る達観の境地を象徴し、人間の価値判断や固定観念を超越する視座を表現しています。
「万物斉同」が生まれた背景
中国・戦国時代の思想家・荘子は、論理や分別を超えて、自然と一体化することを理想としました。彼の「万物斉同」の思想は、あらゆる存在が本来は平等で、対立も差別も意味を持たないと説きます。
この考えは、孔子の儒教のような秩序・礼を重んじる思想とは対照的で、むしろ人間社会の制度や常識に縛られず、自然や宇宙の摂理に従う「道(タオ)」の観点から世界を見ることを重視します。
そのため、荘子は老子と同じようなカテゴリーで語られることが多いです。
エピソード
「荘子」斉物論篇では、荘子と弟子の恵子(けいし)が対話を交わします。
恵子:「物には善悪、美醜の区別があるのではないか?」
荘子:「区別は人の心が勝手に作り出したものに過ぎぬ。昼と夜が移り変わるように、万物は流れ、混じり合っている。固定された価値など存在しないのだ。」
恵子:「では、すべてが同じであれば判断もできず、行動も選べないのでは?」
荘子:「それこそが“道 (Tao)”だ。判断を超えて自然に従うことでこそ、真の自由がある。」
この対話を通じて、荘子は「違いを認識しつつも、それに囚われない心の境地」の重要性を説いています。
まとめ
「万物斉同」は、私たちが無意識に抱いている“違い”という概念に疑問を投げかける教えです。現代社会においても、先入観や固定観念を乗り越え、多様性と共生を可能にするための哲学的基盤となります。荘子の思想から学べるのは、柔軟で自由な思考、そしてすべてのものに対する深い尊重と調和の感覚なのです。