出典:老子
大道廃れて仁義有りとは?
大道廃れて仁義あり(たいどうすたれてじんぎあり)とは、老子の「大道」と呼ばれる“自然の摂理”や“万物を貫く根源的な道(タオ)”に従って生きることを理想とします。人間社会においても、この大道に則った状態であれば、無理なく円滑に物事が進み、人々は作為的な規範や強調された道徳なしに平和を保つことができます。
ところが、何らかの理由で大道が失われ、社会全体から自然な秩序や調和が崩れてしまうと、「仁」や「義」などの道徳を人為的に立てなければならなくなります。逆説的に言えば、わざわざ「善をなそう」「正義を重んじよう」と声高に言わなければならない社会とは、すでに自然の調和が壊れている状態だ、というわけです。
出典について
「大道廃れて仁義あり」 とは、中国春秋戦国時代に活躍したと伝えられる老子(老聃:ろうたん)の著作『老子(道徳経)』第18章に登場する言葉です。原文の一部を示すと、下記のように記されています。
大道廢,仁義有
智慧出,有大偽
六親不和,有孝慈
国家昏乱,有忠臣
これをおおまかに訳すと、
真に大いなる道(自然の法則・原初の調和)が失われると、
人為的な仁義(道徳)が強調されるようになる。
知恵(小賢しさ)が先行すると、大きな偽り(欺瞞)がはびこる。
家族の和が失われると、孝行や慈愛が叫ばれるようになる。
国家が混乱していると、忠臣が持ち上げられる。
という趣旨になります。
時代の背景:儒家との対立
老子がこのように述べる背景には、同時代に興隆していた儒家・儒教との思想的な対比があります。儒家の代表的人物である孔子や孟子は、「仁義礼智信」の儒教の五常を重んじ、倫理や道徳の確立を通じて社会を安定させようと説きました。一方、老子は「人為的に作られた道徳規範は、本来の自然なあり方を損ねる」と見ています。
「大道がある状態」=「作為的な規範がなくても、各人が本来の“道”に従って自然に調和を保つ状態」に近いとも言えます。老子は、理想社会では本来、“仁義”という言葉さえ必要ない、と暗に示しているのです。
現代社会への示唆
(1) 過剰なルールやマニュアルへの警鐘
現代社会においても、過度に細分化された「ルール」「マニュアル」や「ガイドライン」に縛られすぎる傾向があります。老子が言うところの「大道」がすなわち“自発的・自然発生的な秩序”だと考えれば、「ルール」が多いほど人々の自由な発想や、本来持っている協調性・倫理観が発揮されにくくなる側面もあるでしょう。
(2) 倫理や道徳を声高に主張する背景を考える
「仁義」や「正義」、「公正」などが盛んに唱えられる社会状況を、老子は「すでに何らかの不自然さがある兆候」と見ています。例えば、社会的に大きな不正や不祥事が相次いだ結果、道徳教育やコンプライアンス意識の強化が叫ばれる場合、「なぜ本来それが必要なのか?」を深く考える契機にできるでしょう。
(3) 自然の秩序への回帰
老子の言葉をそのまま現代に適用することは難しい面もあります。しかし、人間同士のコミュニケーションや組織づくりにおいて、「まず自然な調和を尊重し、自発的に行動できる環境を整える」という視点を持つことは、有効かもしれません。
おのおのが、過剰に管理や規範を押し付け合うのではなく、お互いを尊重する風土が築かれれば、仁義を“強調”せずとも円滑に回る可能性が高まるはずです。
まとめ
「大道廃れて仁義あり」は、老子が伝える自然の道(タオ)の尊さと、“人間がもたらす作為的な秩序の危うさ”を端的に示す象徴的な言葉です。決して仁義を否定しようとしているわけではなく、むしろ「本来は人為的な徳目を強調しなくても、万物は円滑に動くはずである」という、一種の理想論でもあります。
現代においても、人間社会や組織では多くのルールや道徳規範が必要とされる反面、それが過度になればなるほど、かえって人の自主性や内発的な善意を損ねる恐れがあります。老子の言葉をヒントに、
「なぜこのような規範が必要になったのか?」
「私たちは本来、どんな環境であれば自然に調和できるのか?」
という根本的な問いに立ち返ることが、大切なのかもしれません。

田中部長と「大道廃れて仁義あり」~営業部、道を失ってルール増やしすぎ!?~
いつもどおりバタバタの朝。
コピー機は詰まり、電話は鳴り止まず、佐藤さんはまた社内スリッパで来て怒られている中――
田中部長、静かに一冊の古書を開いていた。
田中部長(つぶやき):「……大道、廃れたな……」
佐藤さん:「えっ!? 大道さんって誰ですか!? 営業課の新しい人ですか!?」
山本課長:「いや違う。“大道”ってのは老子の思想で……えーと、なんだっけ?」
田中部長:「“自然に従う、本来あるべき正しい道”。」
佐藤さん:「つまり、部長の道?」
田中部長:「いやオレじゃない。社会の道だ。」
🧠【田中部長の哲学スイッチ、オン!】
田中部長:「最近の営業部は、マニュアル、規則、研修、上司の顔色、形式ばかりで動いてる!
本来の“信頼を築く営業道”を忘れてないか!?」
山本課長:「いや、普通にExcel忘れてる人は信頼築けないですよ?」
田中部長(立ち上がる):「聞け! これが“老子の格言”だ!!」
『大道廃れて仁義あり』
「自然な道が失われたとき、人は“仁義”という“きれいごと”を言い始める」
佐藤さん(感動):「えぇ…深い…! つまり“心で売れ”ってことですね!」
山本課長(小声):「いや、部長が“マニュアル無用”とか言い出すと、だいたい無法地帯になるんだよな…」
💥【作戦開始! 営業部、大道回帰プロジェクト】
🌀作戦①:「マニュアル全廃!! “心で売れ”作戦!」
田中部長:「今日から営業マニュアルは全部シュレッダー行きだ!!」
佐藤さん:「わぁ! マニュアルって燃えるゴミですか!?」
山本課長:「ちょ待って! プレゼンフォーマット消したら新人全滅しますよ!?」
田中部長:「いいのだ! 人と人との“直感と感情”で売るのだ!!」
🌀作戦②:「敬語禁止!“素の自分”で営業!」
田中部長:「敬語も形式も、すべては“仁義の仮面”だ!! ありのままで話せ!!」
佐藤さん(クライアントに):「よう元気〜? 今月ウチのこれ、買っちゃう〜?」
クライアント:「………誰?」
山本課長(崩れ落ちながら):「誰!? ほんと誰!?」
🌀作戦③:「プレゼン資料は“落書き”でOK!」
田中部長:「パワポ? そんなもん、作り手の見栄の塊だ!」
佐藤さん:「なので…今回は「心の温度」を絵で表現してきました♡**」
(資料:太陽とハートと、なぜかニワトリ)
クライアント:「え、ええと……このニワトリは……」
佐藤さん:「“朝の希望”です!!✨」
🤯【事態は混乱の極みへ…】
社内ではルール廃止により、全員が自由奔放モード。
- 請求書は折り紙で届く
- 勤怠は「今日も元気でした🩷」という口頭報告
- 商談メールの宛名が「〇〇にゃん様」
経理部:「営業部だけ縄文時代になってますよね!?💢」
社長:「田中くん……キミたち営業部、何道を歩いてるの?」
🌈【クライマックス:最終プレゼン当日】
(クライアント先に法被(はっぴ)姿で現れる営業部)
田中部長:「今日は資料も敬語もありません。
あるのは、“私たちの営業魂”ただそれだけです。」
佐藤さん(正座しながら):「買ってくれたら…嬉しいなって…」
山本課長(震え声):「これ、プレゼンというより…感情の土下座では…!?」
🎉【まさかの結末!?】
(クライアント社長が立ち上がる)
クライアント:「……なんか…意味はわからんが……すごい熱意は感じた!」
クライアント:「……契約、してみるか!!」
営業部一同:「うおおおおおお!!!」
田中部長:「見たかッ! これが大道だッッ!!」
こうして営業部は、“道徳と形式を捨てた本気のぶつかり営業”で、まさかの契約をゲット。
だがこの方式が、翌日すぐ社内で全面禁止されたのは言うまでもない――。