恨みに報ゆるに徳を以てす/許す勇気が調和をもたらす

教訓
憎しみに対して憎しみで応じるのではなく、善意と寛容さを示すことで信頼や友情が生まれる

   出典:『老子』第63章

出典と意味すること

「恨みに報ゆるに徳を以てす」(うらみにむくゆるにとくをもってす)は、中国の古典『老子』第63章に由来する言葉です。この章は、老子の根本的な思想である「無為自然」の一環として、人間関係の在り方についての洞察を示しています。

   为无为,事无事,味无味,大小多少,报怨以德

(無為を為し、無事を事とし、無味を味とし、大を小とし、多を少とし、怨みに報ゆるに徳を以てす)

他人から憎まれたり恨まれたりしたとしても、それに対して同じ憎しみで応じるのではなく、徳(善意や寛容さ)によって応じるべきだという教えです。

憎しみに対して憎しみで応じれば争いは終わらないが、徳をもって応じることで和解や調和をもたらすことができるという老子の思想を表しています。

故事の構文解析

– 恨み: 他者からの憎しみや悪意。

– 報ゆる: 報復する、または応じる。

– 徳: 儒家の徳(人徳)と共通しますが、老子の文脈では自然の調和や無私の善意に近い。

– 以てす: ~を用いる、~によって行う。

エピソード

登場人物

  • 李成(リ・セイ): 温厚で誠実な農夫。
  • 張剛(チャン・ゴウ): 気難しく短気な隣人。

古代中国の小さな村では、井戸水が生活の要(かなめ)でした。しかし、村の井戸が枯れかけ、村人たちは自分の土地に井戸を掘り始めました。李成も家族のために必死に井戸を掘りました。

一方、隣人の張剛は井戸を掘る体力がなく、李成が掘った井戸をこっそり使っていました。ある日、張剛が夜中に李成の井戸から水を汲む姿が目撃され、村人たちの間で噂になりました。

事件の発生

井戸泥棒と村で噂された張剛は、逆に腹を立て、李成を悪者扱いし始めました。

「井戸を独り占めしている」

「村人に水を売るためにわざと井戸を囲った」

このような根拠のない非難を広めました。

李成の家族や友人たちは怒り、張剛に抗議するべきだと促しました。しかし、李成はこう答えます。

李成:恨みに恨みを返せば争いになるだけだ。徳をもって応じれば、和が訪れるだろう。

ある日、張剛の家族が水不足で困っていることを聞いた李成は、張剛の家まで水を運びました。

それだけでなく、彼の家の庭に井戸を掘る手伝いを申し出ました。最初は拒絶した張剛でしたが、家族のためにしぶしぶ李成の申し出を受け入れます。

李成は自分の井戸から水を使いながら張剛の井戸を掘り、数日後、ついに水が湧き出ました。

和解の瞬間

張剛は李成に深く頭を下げ、

張剛:今まで君を疑っていた。非難していたのも私の心が狭かったせいだ。

このように謝罪しました。それ以降、二人は井戸を共有し合い、村全体が彼らの行動を称賛しました。

この物語は、「恨みに報ゆるに徳を以てす」の実践が人間関係においてどれほど大きな変化をもたらすかを示しています。憎しみに対して憎しみで応じるのではなく、善意と寛容さを示すことで、信頼や友情が生まれ、争いが解消されるのです。

教訓

この物語は「恨みに報ゆるに徳を以てす」の実践が人間関係においてどれほど大きな変化をもたらすかを示しています。憎しみに対して憎しみで応じるのではなく、善意と寛容さを示すことで、信頼や友情が生まれ、争いが解消されるのです。

このエピソードは、個人の行動が社会全体の調和に繋がる可能性をも示しています。李成の行動は、村人たちに寛容さや共助の精神を教えました。

故事の教訓(現代社会の課題)

「恨みに報ゆるに徳を以てす」の教訓は、憎しみや対立がエスカレートしやすい現代社会において非常に重要です。この教えは、他者の悪意や不正に対して同じレベルで反応するのではなく、高い次元の徳をもって接することを促しています。

1. 対立と憎悪の連鎖を防ぐ

現代社会では、SNSやネット上での誹謗中傷、職場での対人トラブル、国際的な対立など、憎しみの連鎖が続きやすい状況があります。同じレベルの敵意や攻撃性で返すと、事態はエスカレートするだけです。「恨みに報ゆるに徳を以てす」の教えは、この連鎖を断ち切り、対立を沈静化させる方法論として活用できます。

例1: 誹謗中傷への対応 批判に対して冷静に事実を述べ、誠実な態度を示すことで、相手の攻撃性を緩和できます。批判が正しい場合は、それを受け入れ改善する姿勢を示すことで信頼を回復する道を示します。

例2: 職場の人間関係 職場での意見の対立が感情的な憎悪に発展することがあります。しかし、寛容な態度と建設的な提案をすることで、関係修復の糸口を作ることができます。

2. 許しと寛容の価値

現代では、許すことが弱さと見なされる風潮もありますが、「許し」はむしろ強さの表れです。恨みを受けたとき、それに善意で返す行為は自己の心の平和を守り、争いの無益さを他者に示す手段になります。

心理学的背景: 許すことは、ストレス軽減や心の健康に寄与します。また、他者を許すことで自分自身の心の負担も減ります。

3. 社会の調和の促進

多様性が尊重される現代では、異なる文化や価値観の間で摩擦が生じることがあります。敵意に対して徳をもって接することで、異なる価値観が調和する土壌をつくることができます。

現代視点の再解釈

「恨みに報ゆるに徳を以てす」を現代社会の視点で再解釈すると、心理学、社会学、国際関係学など、幅広い分野に応用可能な思想となります。

1. 心理学的視点: レジリエンスとエモーショナルインテリジェンス

敵意や批判に直面した際、それに同じレベルで反応するのではなく、冷静さと善意で応じることは、心理学で言う「レジリエンス(resilience:精神的回復力)」や「エモーショナルインテリジェンス(Emotional Intelligence:感情的知性)」の表れです。

実践例: 批判された場合、すぐに反撃するのではなく、「相手は何を求めているのか」を冷静に分析し、必要なら謝罪や改善を示す。

2. 社会的視点: 和解と信頼の構築

国際紛争や地域対立の場面でも、「徳をもって接する」ことで信頼関係を築ける場合があります。これには時間と努力が必要ですが、最終的には双方に利益をもたらします。

例: 国際関係:過去の対立を克服するため、謝罪や支援を行うことで、新たな協力関係を築いた例として、1963年、数十年の対立から和解をしたドイツとフランスのエリゼ条約が挙げられます。

3. 個人の成長視点: 道徳的リーダーシップ

「徳をもって応じる」という行動はリーダーシップにおいても重要です。対立が生じた際に攻撃的な態度を取るのではなく、相手の意見を受け入れ、対話を通じて解決策を探る姿勢は、リーダーとしての器を示します。

徳を持って、ビジネスを加速させる

(登場人物)

  • 田中部長: 営業部のリーダー。厳格だが部下思い。
  • 山本課長: 熱血タイプの課長。正義感が強く、少し短気。
  • 佐藤さん: 新人社員。穏やかで調和を大事にする性格。
  • 木下さん: ライバル会社の営業。以前トラブルを起こした因縁の相手。

舞台は、営業部のオフィス。ライバル会社の木下さんがトラブルを抱え、田中部長に助けを求めてやってくる。


木下さん:
「突然お邪魔してすみません。実は、先日御社にご迷惑をかけた件で謝罪に伺いました。それと……少しお願いがあります。」

山本課長:
「お願い!?木下さん、冗談じゃないですよ。以前、うちの取引先を横取りしたことを忘れたわけじゃないでしょうね。」

田中部長:
「山本、少し落ち着け。木下さん、一体どういう件なのか話してみてください。」

木下さん:
「実は、私たちが進めていた大規模プロジェクトでトラブルが発生し、解決の糸口が見つからなくて……貴社の協力がどうしても必要なんです。」

山本課長:
「何を言ってるんですか!困ったときだけ助けを求めるなんて、都合が良すぎます!」

佐藤さん:
「課長、まあまあ……(小声で)部長がどう判断するか見てみましょう。」

田中部長:
「なるほど。確かに、以前の件は我々にとって大きな痛手でしたね。」

木下さん:
「本当に申し訳ありません……。ですが、今回の件でどうかお力を貸していただけないでしょうか?」


山本課長:
「部長、断りましょう。ここで助けたら、また裏切られるかもしれません!」

田中部長:
「山本、お前は『恨みに報ゆるに徳を以てす』という言葉を知っているか?」

山本課長:
「聞いたことはありますが……それって相手の悪意に善意で応える、みたいな話ですよね?」

佐藤さん:
「そうですね。老子の教えで、『他人の悪意に対しても、徳をもって応えることで、相手の心を変える』という考え方です。」

山本課長:
「でも、そんな理想論でビジネスが成り立ちますか?」

田中部長:
「確かに理想論に聞こえるかもしれない。しかし、今回はただ木下さんを助けるだけではない。我々が協力することで、信頼を取り戻すきっかけになるかもしれない。」


佐藤さん:
「そうですよね。相手を責め続けるだけでは、何も変わりませんし。」

山本課長:
「……でも、それでまた裏切られたらどうするんですか?」

田中部長:
「そのリスクは否定できない。ただし、今回の協力を通じて、我々がいかに信頼できる存在であるかを示せば、長期的にはプラスになる可能性が高い。」

佐藤さん:
「確かに、恩を感じてもらえれば、将来的に相手がこちらを頼るパートナーになる可能性もありますよね。」

山本課長:
「……まあ、部長がそうおっしゃるなら。今回は従います。」


【数週間後】

木下さん:
「田中部長、今回のご協力、本当に感謝しています。おかげでプロジェクトが軌道に乗りました。御社にはこの恩を必ずお返しします!」

山本課長:
「(小声で)これで本当に変わってくれるといいんですがね。」

田中部長:
「山本、相手の心がどう変わるかは我々にはわからない。ただし、こちらが誠実であれば、その行動が相手の心に影響を与えることもある。」

佐藤さん:
「恨みに報ゆるに徳を以てす、ですね。やっぱり、良い教訓です。」

現代ビジネスへの応用

ビジネスの世界では、「恨みに報ゆるに徳を以てす」の教えをクレーム対応、競争戦略、顧客サービスに応用したいところです。

1. クレーム対応

顧客からの厳しいクレームに対して感情的に反論するのではなく、誠実に対応し、顧客の不満を解消することが重要です。

具体例: Amazonは、顧客の不満に迅速に対応することで知られています。たとえば、商品が破損して届いた場合に返金や交換をスムーズに行うことで、顧客満足度を高め、ブランドイメージを守っています。

2. 競争戦略

競合他社から非難や攻撃的なマーケティングを受けた場合、同じレベルで応じるのではなく、より高い価値を提供することに集中する姿勢が求められます。

具体例: Apple vs. Microsoft Appleは過去にMicrosoftから技術や戦略の批判を受けましたが、独自のブランド価値(デザイン、ユーザー体験)に集中することで顧客を引きつける戦略を取りました。

3. 社内文化の構築

職場のハラスメントや対立を解消する際、攻撃的な態度を取るのではなく、仲裁役が「徳をもって接する」ことが重要です。

実践例: Googleの心理的安全性の強調 Googleは、従業員が意見を自由に言える心理的安全性の高い職場を重視しています。これにより、対立が起きた場合でも感情的な衝突を避け、建設的な解決策を導く文化が育まれています。

文化的な視点

中国思想において、「徳」は調和や相互扶助の精神を意味します。この思想は日本にも大きな影響を与え、武士道や和を重んじる文化に反映されています。また、宗教的には仏教の「慈悲」やキリスト教の「敵を愛せ」という教えとも共通する点があります。

まとめ

「恨みに報ゆるに徳を以てす」の教えは、現代社会の課題である対立、憎悪、不信を解消し、調和をもたらすための教訓です。心理的な回復力を育み、ビジネスにおけるクレーム対応や競争戦略に応用することで、個人や組織が長期的に成長するための道を提供します。

この教えを活用することで、私たちはより成熟した対応ができる社会を築けるでしょう。

類義語

以徳報怨(いとくほうえん):徳をもって怨みに報いる(同義表現)

汝の敵を愛せ:キリスト教的表現

プロフィール
編集者
Takeshi

医療専門紙の取材・編集職を15年以上の経験があり、担当編集としての書籍は、8冊(うち2冊は中国・台湾版)があります。

本サイトでは、日々の生活やビジネスで役立ち、古くから伝わる故事成語の深い意味や背景をわかりやすく解説し、皆さまの心に響くメッセージをお届けしたいと思っています。歴史や文学への情熱を持ちながら、長年のメディア経験を通じて得た視点を活かし、多くの方に「古き知恵の力」を実感していただけるようにしたいと思います。

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