泣いて馬謖を斬る
出典『三国志』「蜀書馬良伝」
「泣いて馬謖を斬る」は、中国の三国時代に、蜀漢の宰相である諸葛 亮(孔明)が、軍律を守るために溺愛する部下・馬謖(ばしょく)を処刑した故事に由来します。この出来事は、リーダーとしての厳格さと責任感、そして私情を捨てた公正な判断の象徴として広く知られています。本稿では、「泣いて馬謖を斬る」の意味、その背景、故事が成立した経緯、現代における教訓について解説します。
「泣いて馬謖を斬る」の意味
「泣いて馬謖を斬る」とは、規律や秩序を守るために、個人的な感情を犠牲にして厳しい決断を下すことを意味します。リーダーが大局を見据え、公私を分けて判断しなければならない状況を象徴する言葉です。
この故事は、蜀漢の軍隊が魏との戦争中に規律を破り、失敗を招いた馬謖に対して諸葛亮が処刑を命じたエピソードに基づいています。馬謖は才能ある人物で、諸葛亮からも信頼されていましたが、軍令に背いた結果として蜀軍に甚大な被害をもたらしました。諸葛亮は涙を流しながらも、規律を守るために彼を処罰しました。
故事の背景と成立過程
- 馬謖の才能と信頼
馬謖は蜀漢の若い将軍であり、才能と学識を兼ね備えていたため、諸葛亮をはじめ多くの者から期待されていました。特に、戦略や理論に秀でた人物として知られ、将来を嘱望されていました。襄陽地方の名家であった「馬氏五常」の末子、長男には「白眉」で知られる馬良(ばりょう)がいる。
- 街亭の戦い
この故事は「街亭の戦い」に端を発します。蜀漢が魏を攻める北伐の際、諸葛亮は街亭という要所の防衛を馬謖に任せました。しかし、馬謖は諸葛亮の命令を軽視し、山上に布陣するという判断をしました。この行動は水源を魏に抑えられる致命的なミスを引き起こし、蜀軍は敗北を喫しました。
- 処刑の決断
馬謖の行動が原因になって戦況が悪化し、蜀軍は大きな損失を被りました。諸葛亮はこの責任を問わざるを得ず、馬謖の処刑を命じました。諸葛亮にとって馬謖は愛弟子とも言える存在でしたが、規律を守り軍隊の秩序を維持するため、涙を流しながらも処刑を実行しました。
この故事が象徴するのは、リーダーが直面する苦渋の決断の重要性です。個人的な感情を優先すれば、一時的な安堵を得るかもしれませんが、組織全体の規律や信頼を損なう可能性があります。諸葛亮は、蜀漢全体の未来を守るために、私情を捨てた公正な判断を下しました。
現代における教訓
「泣いて馬謖を斬る」の故事は、現代のビジネスやリーダーシップにも多くの教訓をもたらします。以下に具体的な応用例を挙げます。
- 組織の規律を守ることの重要性
軍律(規律)やルールは、組織が円滑に機能するための基盤です。たとえ優秀な人材であっても、ルールを破る行為を放置すると、組織全体の士気が低下し、混乱を招きます。リーダーは、感情に流されず、公平な対応を取る必要があります。
- リーダーの責任感と公正な判断
リーダーは個人の感情や人間関係に左右されず、全体の利益を優先した判断を求められます。部下や仲間に厳しい決断を下すことが必要な場合、リーダー自身も苦しみながらそれを実行しなければなりません。
- 優秀な人材への過信のリスク
馬謖の例は、どれほど才能があっても、それだけで成功するとは限らないことを教えています。人材の適性や現場での判断力を慎重に見極めることが重要です。これにより、優秀な人材を適切な場面で活用することができます。
リーダーとしての諸葛亮
「泣いて馬謖を斬る」の故事は、諸葛亮がいかにして蜀漢の未来を守るために尽力したかを物語っています。リーダーとしての厳格さ、規律の維持、そして個人と組織の利益を天秤にかけた決断力は、現代社会においても重要な指針となります。
諸葛亮がこの厳しい決断を下したことで、蜀漢の軍隊は規律を保ち続けました。この逸話は、リーダーとしての苦悩と責任を象徴するだけでなく、知恵と公正さがどれほど重要であるかを私たちに教えてくれるものです。

現代社会の「泣いて山田を解雇する」
【登場人物】
- 田中部長: チームの規律を守る責任感の強い中間管理職。
- 山本課長: 実務派の課長。部下を大切にする温厚な性格。
- 山田さん: 若手社員。アイデアマンで優秀だが、独断専行が多いタイプ。
- 佐藤さん: 新人社員。慎重派で周囲をよく観察している。
舞台は、当社営業部の会議室。ある重要プロジェクトの失敗を受けての緊急会議が始まる。
田中部長:
「皆さん、今回のプロジェクト『スマート街亭システム』の失敗について話し合います。」
山本課長:
「確かに結果は芳しくありませんでしたが、原因を明確にして改善すれば次に繋がるかと。」
田中部長:
「原因は明確だ。山田君が、私の指示を無視して独自のプレゼン資料を作成したことが問題だ。」
山田さん:
「いやいや部長、あの資料はもっと効果的だと思ったんです!高台に陣取るような戦略的なものだったんですよ。」
佐藤さん:
「(小声で)それ、故事の『泣いて馬謖を斬る』みたいですね。」
山田さん:
「え、馬謖?何ですかそれ?」
佐藤さん:
「昔、中国の戦国時代に、蜀の諸葛亮が街亭を守るために部下の馬謖を指揮官にしたんです。でも馬謖が指示を無視して高台に陣を敷いて失敗した話です。」
田中部長:
「そうだ、あれと同じだ。私の指示は、『シンプルに要点をまとめた資料を作れ』だったのに、君はやたら凝ったグラフや3Dアニメーションを盛り込んだ。」
山田さん:
「でも、見栄えがいいほうがクライアントにウケると思ったんです!」
山本課長:
「結果として、クライアントは要点がわからず困惑していたよね。情報過多は逆効果だった。」
佐藤さん:
「それ、『蛇足』の要素も入ってますねー。」
田中部長:
「(ため息をつきながら)ここで問題なのは、それだけではない。指示を無視する行動が組織の規律を乱すんだ。結果として、チーム全体に悪影響が及ぶ。」
山本課長:
「でも部長、山田君は優秀ですし、ここで厳しい処分を下すのはどうかと……。」
田中部長:
「わかっている。彼が優秀なのは事実だ。しかし、ここで曖昧(あいまい)にすると、他の社員たちに『指示を守らなくてもいい』という誤解を与える。」
佐藤さん:
「(ぼそっと)泣いて山田を解雇する……ですね。」
山田さん:
「え、それ僕解雇されるんですか!?」
田中部長:
「いや、今回は始末書と減給で済ませる。だが次はないと思え。」
山田さん:
「……わかりました。」
会議終了後、山田と佐藤の会話。
山田さん:
「いやー、危なかった。でも佐藤さん、「泣いて馬謖を斬る」って、結局どういう教訓なんですか?」
佐藤さん:
「それはですね、リーダーには感情を押さえてでも組織のために厳しい決断をする必要があるってことですよ。」
山田さん:
「なるほど。次からは指示を無視せずに、ちゃんとやります。」
佐藤さん:
「まあ、次は泣いて本当に斬られないように頑張ってください。」
【教訓】
「泣いて馬謖を斬る」の教訓は、リーダーが個人的な感情を超えて組織の規律を守る重要性を説いています。一方、部下としては指示を尊重し、勝手な判断で行動しないことが大切です。現代の職場では、リーダーと部下が互いの信頼を築くことで、チーム全体の成功に繋がると言えます。
諸葛亮と韓非子の思想の関連
韓非子は、中国戦国時代の法家に分類される政治家であり思想家です。「泣いて馬謖を斬る」とは、韓非子の思想=法家の思想にたどり着きます。
「組織運営における規律と法の重要性」を強調しており、リーダーが公私を分けて判断を下す必要性を説いています。諸葛亮の行動と韓非子の思想の関連について下記に解説します。
韓非子の思想
韓非子(紀元前280年頃 – 紀元前233年頃)は、中国戦国時代の法家思想家で、法治主義を提唱した人物です。彼の思想の中心は以下の主に3点です:
- 法(規律): 明確な法律やルールによる統治を重視し、すべての人間が平等に規律を守るべきとした。
- 術(リーダーシップの技術): 統治者は個人的な感情や私情を排除し、管理手法を駆使して組織を運営すべきである。
- 勢(権威): 統治者の権威が明確でなければ、組織や国は秩序を保つことができない。
韓非子は、道徳や情による統治(儒家の思想)ではなく、冷徹な法と合理性に基づく統治を理想としました。
「泣いて馬謖を斬る」と韓非子の思想の関連性
1. 法と規律を守る重要性
諸葛亮が馬謖を処刑したのは、蜀漢の軍隊における軍律(規律)を守るためです。馬謖の才能や諸葛亮自身の愛情にかかわらず、彼の命令違反が軍全体の秩序を乱し、甚大な被害を招いた以上、処罰は避けられませんでした。
– 韓非子の視点: 韓非子は、「法律や規律が守られなければ、統治は成り立たない」と主張しました。特定の個人に甘い処遇をすれば、他の部下や兵士の間に不満が生じ、組織全体の規律が崩れる可能性があります。この点で、諸葛亮の決断は韓非子の思想と一致しています。
2. 公私の区別
諸葛亮にとって馬謖は信頼する部下であり、個人的な情を重視すれば処刑は避けられたかもしれません。しかし、公正で厳格な軍律の維持を優先したため、私情を捨てて厳しい決断を下しました。
– 韓非子の視点: 韓非子は「私情を排し、公平に法を適用すべき」と説きました。統治者が私情に基づいて判断を下すと、組織や国家が混乱すると警告しています。「泣いて馬謖を斬る」は、まさにこの理念を実践した例といえます。
3. 指導者の責任と権威の維持
馬謖の処刑は、諸葛亮のリーダーとしての責任と、蜀漢の軍隊全体に対する規律の維持という視点から行われました。処刑によって、軍隊に対する諸葛亮の権威は揺るぎないものとなり、兵士たちは規律を厳守するようになりました。
法家の視点: 韓非子は「統治者が厳格でなければ、人々はルールを軽視し、混乱が生じる」と主張しています。リーダーが例外を許せば、他者も規律を軽んじるようになります。諸葛亮の行動は、韓非子が説いた「厳格な統治者」の姿を体現しているといえます。
諸葛亮の情と韓非子の冷徹さ
「泣いて馬謖を斬る」は韓非子の思想そのものではなく、ある程度の違いも見られます。
情の存在: 韓非子は情や感情を排除することを強調します。しかし、諸葛亮は「泣く」という行動を通じて、処刑が私情を押し殺した苦渋の決断であることを示しました。
これは人間味を重視する儒家思想に近い側面もあり、韓非子の冷徹な法治主義と一線を画します。
結論
「泣いて馬謖を斬る」と韓非子の思想には多くの共通点があり、特に規律の維持と公私を分けた決断の重要性というテーマで一致しています。しかし、諸葛亮が感情を伴いながらも厳格な決断を下した点は、韓非子の冷徹な法治思想とは異なる側面も示しています。この物語は、リーダーにとって法や規律を守ることが最優先でありながらも、情を伴う人間的な苦悩があることを象徴的に示しています。